今年もいよいよ終わりです。久しぶりの投稿です。
プライベートな事はほとんどブログに書く事はないのですが、今年最大のプライベートな出来事は、父が逝去(享年84歳)した事です。
9月に胃癌(ステージ4)が見つかり心の準備ができる間もなく11月に亡くなるという突然の出来事でした。
今回、ブログで紹介したかった事は、闘病記の話ではなく、戦前の日本統治下の朝鮮の話です。
私の父は、1933年(昭和8年)日本統治下の朝鮮、「鎮南浦」という町で生まれました。
現在は、北朝鮮の南浦特別市という平壌に近い場所です。
北朝鮮は今でも鉱物資源が豊富な国として知られていますが、当時の「鎮南浦」は東洋一の工業都市であり、貿易港でした。
私の祖父(1886年生)は「鎮南浦」では名士であり資産家だったらしく、また、地元朝鮮企業数社の相談役でもあったそうで、朝鮮企業のオーナーとは家族ぐるみの付き合いがあり、父も可愛がってもらったという話や、学校では朝鮮人の同級生とも仲良しだった、という話をしてくれました。
そして、終戦により朝鮮在住の日本人は大混乱に陥りました。
不幸中の幸いは、父の兄弟(11人)は終戦の一年前には日本には引き上げていました。祖父と祖母も、たまたま夏休みで日本に一時帰国中でした。
しかし、二度と「鎮南浦」の実家には戻る事ができず、鎮南浦の全財産を失ったのです。
財産を失っただけで済んだのは、幸せな方で、「鎮南浦」で終戦を迎えた多くの日本人の方々は大変な苦労をして日本に引き上げて来ました。
戦後、「鎮南浦」から日本に引き上げてきた人々によって「鎮南浦会」が結成されました。
鎮南浦会のメンバーによる終戦時の苦労話や鎮南浦時代の思い出話の手記を集めた「よみがえる鎮南浦」(1984年)という本がまとめられました。鎮南浦の客観的なデータも詳しくまとめられています。
私が父からこの本を見せてもらったのは、つい最近の事です。
子供の事、父は戦前の朝鮮で生まれた事は聞いていましたが、詳しい話はほとんど聞いていませんでした。
戦時中の話は、身内でさえほとんで語られていないのが現実なのかもしれません。
改めて述べるまでもなく、近年、日本と韓国の間では「歴史認識」のずれの問題で良好な関係ではあるとは言い難い状況です。
歴史が政治利用されるようになると歴史の真実が歪められてしまう事を痛感します。
「よみがえる鎮南浦」(1984年)は、商業出版を目的として編集されたものではなく、苦労を共にした同郷の者道志の思い出話をまとめたものなので、純粋に日本統治時代の朝鮮での日本人の様子、日本人と朝鮮人との関係を知る貴重な資料となっていると思います。
本来であれば、本の内容を公開する事は著作権の問題がありますが、もともと商業出版されたものでは無い事、既に鎮南浦会は自然消滅し、知的財産権を行使しうる者が事実上存在しない事、日本統治時代の朝鮮を記録した「公有財産」の価値が高いと思われる事を根拠に「パブリックドメイン」として「よみがえる鎮南浦」の全文を.pdf で公開されて頂きます。
「よみがえる鎮南浦」 pdfデータ ダウンロード
他にも、1978年の「鎮南浦会名簿」(住所録)もあるのですが、これは個人情報なので公開は控えされ頂きます。
鎮南浦の地図もいくつかあります。もし、歴史研究をされている方で必要であればこれはお譲りします。
プライベートな事はほとんどブログに書く事はないのですが、今年最大のプライベートな出来事は、父が逝去(享年84歳)した事です。
9月に胃癌(ステージ4)が見つかり心の準備ができる間もなく11月に亡くなるという突然の出来事でした。
今回、ブログで紹介したかった事は、闘病記の話ではなく、戦前の日本統治下の朝鮮の話です。
私の父は、1933年(昭和8年)日本統治下の朝鮮、「鎮南浦」という町で生まれました。
現在は、北朝鮮の南浦特別市という平壌に近い場所です。
北朝鮮は今でも鉱物資源が豊富な国として知られていますが、当時の「鎮南浦」は東洋一の工業都市であり、貿易港でした。
私の祖父(1886年生)は「鎮南浦」では名士であり資産家だったらしく、また、地元朝鮮企業数社の相談役でもあったそうで、朝鮮企業のオーナーとは家族ぐるみの付き合いがあり、父も可愛がってもらったという話や、学校では朝鮮人の同級生とも仲良しだった、という話をしてくれました。
そして、終戦により朝鮮在住の日本人は大混乱に陥りました。
不幸中の幸いは、父の兄弟(11人)は終戦の一年前には日本には引き上げていました。祖父と祖母も、たまたま夏休みで日本に一時帰国中でした。
しかし、二度と「鎮南浦」の実家には戻る事ができず、鎮南浦の全財産を失ったのです。
財産を失っただけで済んだのは、幸せな方で、「鎮南浦」で終戦を迎えた多くの日本人の方々は大変な苦労をして日本に引き上げて来ました。
戦後、「鎮南浦」から日本に引き上げてきた人々によって「鎮南浦会」が結成されました。
鎮南浦会のメンバーによる終戦時の苦労話や鎮南浦時代の思い出話の手記を集めた「よみがえる鎮南浦」(1984年)という本がまとめられました。鎮南浦の客観的なデータも詳しくまとめられています。
私が父からこの本を見せてもらったのは、つい最近の事です。
子供の事、父は戦前の朝鮮で生まれた事は聞いていましたが、詳しい話はほとんど聞いていませんでした。
戦時中の話は、身内でさえほとんで語られていないのが現実なのかもしれません。
改めて述べるまでもなく、近年、日本と韓国の間では「歴史認識」のずれの問題で良好な関係ではあるとは言い難い状況です。
歴史が政治利用されるようになると歴史の真実が歪められてしまう事を痛感します。
「よみがえる鎮南浦」(1984年)は、商業出版を目的として編集されたものではなく、苦労を共にした同郷の者道志の思い出話をまとめたものなので、純粋に日本統治時代の朝鮮での日本人の様子、日本人と朝鮮人との関係を知る貴重な資料となっていると思います。
本来であれば、本の内容を公開する事は著作権の問題がありますが、もともと商業出版されたものでは無い事、既に鎮南浦会は自然消滅し、知的財産権を行使しうる者が事実上存在しない事、日本統治時代の朝鮮を記録した「公有財産」の価値が高いと思われる事を根拠に「パブリックドメイン」として「よみがえる鎮南浦」の全文を.pdf で公開されて頂きます。
「よみがえる鎮南浦」 pdfデータ ダウンロード
他にも、1978年の「鎮南浦会名簿」(住所録)もあるのですが、これは個人情報なので公開は控えされ頂きます。
鎮南浦の地図もいくつかあります。もし、歴史研究をされている方で必要であればこれはお譲りします。